これまでの活動
地域活動
青年会活動
小さいころから、石岡のまつりに参加していました。父が國分町の役員をしていた関係も有り、祭りといえば山車の綱を引くことが楽しくて、お囃子の音を聞くとわくわくしたものです。昭和49年の國分町年番終了後、國分町青年会が結成され、参加いたしました。
國分寺花祭りでは、青年会もテントを一張り借りて、会員から集めた不用品をバザーで販売し、収益金を社会福祉協議会へ寄付するなどの社会貢献活動も行いました。
昭和63年、年番を翌年に控え、祭りが年番町を中心として楽しくまとまりのあるものにしようと、年番引受け15町の青年会を結集した(仮称)石岡青年会結成を働きかけました。ソフトボール大会、ボウリング大会などを開催し、それまで疎遠であった他町内青年会との親睦融和を図る中で、常陸國總社宮にも認めていただき、石岡青年会結成にこぎつけました。
今、祭り中日の山車パレードは石岡青年会が主催するまでになり、祭りの中での石岡青年会の役割と責任は大きなものとなっています。
昭和64年、青年会副会長として國分町年番を迎えました。父が祭典委員長だったことも有り早くから準備を進めていました。しかし、昭和天皇が崩御され、全国的に祭事が自粛される傾向となりました。
平成元年となり、祭りの実施が決定した時には、國分町山車のシンボルである山車人形が「仁徳天皇」ということもあり、気合が入りました。青年会が中心となって御神輿渡御をまとめたことも有り、緊張の連続で、祭り3日間で満足な食事は2回だったと記憶しています。
平成2年、年番の翌年に青年会長に就任しましたが、年番が終わったことも有り、参加者が激減したことで、山車の巡行に苦労した思い出があります。
町内会活動
平成15年、國分町の年番を翌年に控え國分町祭礼委員となり、町内の一員としての活動が始まりました。山車の新造がなり、山車清祓式には格別の取り計らいにより相町の富田町さん、隣接の若松町さん、泉町さんが山車を國分町まで巡行していただき、大いに盛り上げていただきました。石岡青年会の結びつきが大きな力となりつつあることを感じさせてくれました。
平成16年、御神輿部副部長として年番をむかえることとなりました。青年会メンバーを中心に、御仮殿の場所確保と休憩所等の配置案作成、御神輿渡御コースの立案、供奉行列コース立案、浄衣の配布と回収手段立案、幌獅子と山車の停止位置立案、警察署との交通規制区域の協議等々、毎晩のように会議を行い関係機関との調整で目の回るような年だったと記憶しています。
この年、おはよう茨城とNHKで國分町が取材を受けました。NHKは祭り初日早朝の生放送でのテレビ放映が大きな反響を呼び、前年を大きく上回る観光客数となりました。
その後、町内会では書記や山車部長、総務長として会議や事業のとりまとめを進めました。
平成26年、相町である富田町さんが年番となり、御神輿が國分町会所まで来ていただけることとなり、御神輿渡御の際の給水をお手伝いさせていただきました。
平成29年、國分町町務委員長に就任。
令和元年、國分町年番に際して祭典委員長を務めました。15年前の平成16年年番の際の各種データを残し、加えて前年年番町の幸町様から年番に関する貴重な資料をデジタルデータで提供いただき大いに活用させていただきました。結果、祭礼3日間の観光客数は約50万人となり、過去最高の人出となったことは望外の喜びとなりました。
國分町は常陸國總社宮例大祭への参加に加え地域の方々に楽しんでいただいている國分寺の花祭りも主催しています。4月8日のお釈迦様の誕生日は全国的に花祭りが実施されており、石岡では國分寺境内で國分町が花祭りを主催しています。
参拝客の皆さんが、お釈迦様に甘茶をかける風習と満開の桜を楽しんでいただけるよう、無料の甘酒・甘茶を振舞っております。甘酒の原料である酒粕は石岡酒造様のご寄付によるものです。甘茶はアマチャズルというツル性の草が原料です。多くの方がお茶に砂糖を入れたものと誤解しており、実際にはアマチャズルそのものから甘い成分が出ており、砂糖は全く入れていません。
満開の桜の下、多くの方でにぎわうことを楽しみにしておりましたが、コロナ禍の影響により令和3年、4年と実施できませんでした。
PTA活動
府中小学校
長男が府中小学校に入学し、ベルマークの整理に参加したことがPTA活動に参加するきっかけとなりました。男性の参加が珍しかったらしく、その後、本部役員のお誘いを受けて会計、副会長を務めました。平成10年頃かと思いますが、予算書と決算書をエクセルファイルで作成しました。そのフォーマットがいまだに使われていると聞いて驚いています。
府中中学校
平成16年、二男が府中中学校に入学。知り合いの方からお誘いを受け、本部役員として書記、副会長を務めました。中学校は色々な課題を抱えており、会議もたびたびあり、保護者と教職員の関係が良好であることが重要であると認識しました。
それにしても、先生方が毎晩遅くまで職員室で仕事をする姿を見るたびに、頭が下がる思いでした。
土浦日本大学高等学校
平成19年、二男が土浦日本大学高等学校に進学。入学式を迎える前に、支部役員就任依頼の電話が入り、副支部長をお受けすることに。長男が同高校で大変お世話になったこともあり、その後2年間は支部長として活動させていただきました。生徒数が多く、勉学だけでなくスポーツも全国大会レベルの活躍をしていることもあり、PTAの予算規模は桁違いに大きく、県内・県外から多くの支部長が参加する会議は、毎回真剣かつ長時間にわたりました。会議の後の懇親会では、様々な職種の方との交流があり、これも大いに勉強になったところです。
高校卒業後も理事として1年間の任期があり、交流の幅が大きく広がったのもこのころです。そして長男と二男がお世話になったわけですが、先生方の進路指導の熱心さが心にしみました。
県立中央高等学校
平成22年、長女が中央高校に進学。本部役員のお誘いを受け書記に就任。私立高校とは雰囲気も予算額も全く違う環境でのPTA活動は新鮮かつ、非常に家族的な雰囲気でスタートしました。しかし、小川高校の廃校問題などもあり、入学試験希望者数が定員に満たないと廃校になる可能性もあるとの危機感から、急遽、スクールバス導入を検討することに。試験運行を経て平成24年4月から本格運行に入りましたが、計算どおりの利用者が確保できず、バス運行会社には大変なご迷惑をおかけすることになりました。
一方で土曜課外授業の実施などにも取り組み、平成24年度には国公立大学に10人の合格者を出すなど、保護者の方々も通学の利便性や校風に興味を持っていただけるようになり、募集定員を超える受験希望者を確保することとなり、スクールバス運行も何とか存続することができました。
中央高校では、生徒の学力向上と生活指導に力を入れていると感じました。生活指導の先生はJR羽鳥駅前の風紀が心配との情報が入ると、PTAと協議し巡回指導を積極的に行い、これはと思う人にどんどん声掛けを実施。これにより、生徒の規律も地域の風紀も向上したと、周辺にお住まいの方々から言葉をいただくようなりました。学園ドラマではないですが、熱血先生が頑張っています。
スポーツ振興活動
長男と二男がFC石岡(現在は石岡アセンブルFC)で少年サッカーをしており、子どもたちが練習する場所が整っていないことを感じました。サッカーを指導してくれているコーチはボランティアであり、毎週練習を見てくれていることに頭が下がりました。そうした折、市情報システム課に勤務し、石岡市のホームページ立ち上げに関係していたことも有り、FC石岡の公式ホームページ作成を依頼され、完成させました。
そうした縁から、石岡市体育協会サッカー部監事を引き受けることなり、数年間お手伝いさせていただきました。
企業が所有するグランドを青少年スポーツ振興に開放してくれることが有り、好意に甘えて練習していましたが、セキュリティ上の問題などで、そうした企業も少なくなりつつあり、練習場の確保に苦労していると聞いています。
海外のように、天然芝のグランドで子どもたちがサッカーや野球の練習ができるような環境整備が少しでも進むことを期待しています。もちろん成人の方々の練習場確保も。
近年、サッカーくじを原資として、日本サッカー協会がサッカー場の人工芝化に対して、助成金制度を創設したことを受け、石岡市柏原サッカー状の人工芝化に向けた活動を展開中し、市は実施設計まで進みました。いよいよ工事費の予算計上に至った際に残念ながら議会の理解が得られず、人工芝化は頓挫しました。この様に事業補助金を申請し採択されたものを特別の理由も無く否決したことの影響は大きく、行政と民間が協力する事業において石岡市の信用度は大きく低下したようです。
趣味
DIY
自宅脇のウッドデッキをDIYしました。7m×3mの大きさで製作しました。5月の連休を利用して作業を開始しましたが、参考書通りには進まず、直角を出す難しさを痛感。屋根なしの状態まで何とか作業を進めましたが、すでに秋の風が吹き始めていました。家族は早速、洗濯干し場で利用するところとなり、かっこよくお茶することはなく・・・。
その後、2冬過ぎたころ、雨に打たれ、霜で真っ白になるデッキを見るとかわいそうになり屋根を波板で葺くことにしました。雨が降っても濡れませんので、更に洗濯干し場として活用されています。
そば打ち
土浦市の小町の里に手打ちそばのお店がありますが、これは農協の婦人部の方々が中心となって運営していました。水車小屋でそば粉を挽き、休日は数時間待つ程の人気店です。開店当初、義母も調理に参加しており、その時にそば打ちの手ほどきを先生から受け、自宅でもそばを打つようになりました。石岡市の職員の中にもそば打ちをされている方がおります。特に八郷地区の職員はそうした特技を持つ方がおり、退職後に開業された方もおります。そうした方々と接するうちに興味を持つようになり、義母からそば打ちの手伝いを打診され手ほどきを受けました。
年越し、節分、その他随時で打っていますが、思い通りに打てたことはありません。毎回同じように打てるようになるには、しばらくかかると思います。
八郷地区には手打ちそばのお店が多数あり、いずれも個性的で美味しい手打ちそばを食べさせてくれます。そんなそばを食べに来る、いわゆる通を自称される方の中に「日本酒とそば」を楽しまれる方がおります。
平成26年3月、議員提案により「『石岡の地酒』で乾杯を推進する条例」が設置されました。石岡のお酒は関東の灘と言われたほどの品質を誇っており、石岡の日本酒と手打ちそばを楽しんでいただけるような取り組みが有ってもいいのではないかと考えています。特に江戸っ子の方々にアピールしてみたいと思っております。